大我井神社造営の棟梁は、国宝・聖天堂の棟梁・林正清の子孫、林家5代目・林正道で、聖天様の「貴惣門」を造営した棟梁でもありました。 |
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つまり、長谷川重右衛門により設計された「貴惣門」が、それから約100年後、林家5代目・正道による明治期の「貴惣門」創建へとつながり、岩国の長谷川重右衛門と、聖天堂棟梁・林正清の縁を基にして、以来、林家5代目・正道以降、今日に至るまで、聖天堂を通じた縁で結ばれることになり、まさに縁結びの聖天様だったのです。 |
次に、明治以降、聖天堂から分離された神社の創建についてお話ししましょう。今から150年ほど前、徳川幕府の崩壊により明治維新を迎えると、新政府の「祭政一致」施策のもとに、神仏分離令が公布されました。 |
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それが、聖天さまの東、県道熊谷・太田線の東側に創建された、林家5代目・正道と6代目・正啓父子による、神明造の本殿を持つ「大我井神社」です。 |
著者紹介:熊谷市在住。上武郷土史研究会主宰、阿うんの会・講師。
全国歴史研究会、埼玉県郷土文化会、木曽義仲史学会、他各種会員。
主な著書:『妻沼聖天山』、『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(以上さきたま出版会)、『寺社の装飾彫刻・関東編上』(日貿出版社)、
『斎藤氏と聖天堂』(熊谷市立熊谷図書館)、『歴史と文化の町・“めぬま”』(阿うんの会)
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