奥殿 - 北面・縁下腰羽目彫刻

 北面・腰羽目彫刻は、右側に「芙蓉に獅子舞・子供五人」、中央に「梅竹に雪ころばし七人」、左側に「椿に相撲七人」の3枚で、これらの遊びによって、冬の季節が表現されていることが解ります。
 右側の獅子舞を演じる後ろ側の唐子が、「あかんべ~」としている様子が描かれています。
 中央の腰羽目彫刻は、雪だるまの左にいる唐子が、寒そうに手に息を吹きかけながら手を温めている姿が可愛らしく、滑稽でもあります。
 そして、左側の「椿に相撲七人」では、相撲に興じる唐子の周りで、次の出番を待つ唐子の姿、支度をしながら観客の方に目線を送っている唐子などと、大変生き生きとした様子が見事に彫り出されています。


奥殿-北面・縁下腰羽目彫刻

 

奥殿-北壁・海老虹梁上の鳳凰の彫刻

 北側の鳳凰の彫物師は、江戸彫の後藤家初代・後藤茂右衛門正綱の作品で、南側の小沢五右衛門常信作の鳳凰と一対を成すもので、こちらは口を閉じた「うん」形を表しています。
 後藤家始祖・正綱から10代に亘り、後藤茂右衛門の名が継承され、5代目以降は明治維新を迎えるまで、代々に亘り、幕府御用彫物師を継承した名工です。
 南側の鳳凰と比較すると、こちらは、全体的におとなしい作風ながら、巧みな技術で立体的に彫り上げた、いわば日光東照宮の彫刻に代表される伝統的な作風であると評されています。
 この妻沼聖天堂の再建後、江戸幕府の奢侈禁止令(=贅沢禁止令)により、次第に寺社彫刻の彩色が減少していき、彫刻そのものの出来栄えを見せる方向に移っていきました。

後藤茂右衛門正綱銘の「鳳凰」
後藤茂右衛門正綱銘の「鳳凰」

 つまり、小沢五右衛門常信の作品に見られる、彫りの細かい、鋭角的な彫刻が一般的になっていく、彫刻技法の転換点にもなった作品であるとも考えられます。言い方を替えると、聖天堂に施された鳳凰の彫刻は、北壁と南壁ではまさに技法の転換点、分水嶺ともいえる二種類の彫刻技法を表しているものだったのです。
 この後藤茂右衛門の系統は、笠間稲荷本殿の彫刻で有名な、後藤縫之助や、磯辺家元祖・初代・磯辺儀左衛門信秀をはじめ、以後、栃木・茨城などの北関東の寺社にその名を残す名工を輩出していきます。(文・写真:阿部修治)

 

著者紹介:熊谷市在住。上武郷土史研究会主宰、阿うんの会・講師。
     全国歴史研究会、埼玉県郷土文化会、木曽義仲史学会、他各種会員。
主な著書:『妻沼聖天山』、『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(以上さきたま出版会)、『寺社の装飾彫刻・関東編上』(日貿出版社)、
     『斎藤氏と聖天堂』(熊谷市立熊谷図書館)、『歴史と文化の町・“めぬま”』(阿うんの会)

 

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