平安時代、武蔵国は公卿や大寺院の荘園として、平清盛が率いる平氏一族が治めていました。
妻沼聖天様のある地域は、当時長井庄と呼ばれ、旧妻沼全域の他に、旧深谷市の東部地域、旧熊谷市の北部地域を含めた広大な荘園でした。
平安末期の治承3年(1179)、この長井庄を治めていた、長井庄司・斎藤別当実盛という武将が、守り本尊の「大聖歓喜天」を、妻沼郷大我井の杜の古社に奉祀し、聖天宮として開創したのが妻沼聖天様の始まりと伝えられています。
以来、地域の総鎮守として信仰を集めて来ましたが、明治維新の神仏分離令以降、聖天宮は寺院として存続することになり、今日に至ったのが現在の妻沼・聖天様(歓喜院聖天堂)なのです。
国宝・聖天山本殿 – 拝殿 |
大工棟梁・林正清作成の聖天堂絵図– 拝殿 |
聖天様には、国宝の本殿・「聖天堂」をはじめとして、秘仏の本尊・「大聖歓喜天」が納められた「御正躰錫杖頭(みしょうたいしゃくじょうとう)」や、聖天山の総門である「貴惣門」などの国・重要文化財の他に、多くの県・市の指定文化財があります。
中でも、権現造りの国宝・聖天堂(聖天山本殿)は、建物の周囲がすべて華麗な彫刻で覆い尽くされ、江戸中期を代表する装飾建築物といわれています。
これだけ見事な建物とはいえ、江戸中期の享保期から安永期までの44年にも亘る長期の工期であったため、全容を一度に美しい状態で眼にした人は、歴史的に誰一人として居ませんでした。
平成の保存・修復工事を経て、新しく甦った本殿は、これを眼にする多くの人々に、再建当時の職人の技術力と、250年以上の風雨に耐え続けた歴史的遺構の重さに、感動すら与えています。
次回以降、歓喜院聖天堂の個々の見所・特徴等について、ご紹介いたします。(文・写真:阿部修治)
著者紹介:熊谷市在住。上武郷土史研究会主宰、阿うんの会・講師。
全国歴史研究会、埼玉県郷土文化会、木曽義仲史学会、他各種会員。
主な著書:『妻沼聖天山』、『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(以上さきたま出版会)、『寺社の装飾彫刻・関東編上』(日貿出版社)、
『斎藤氏と聖天堂』(熊谷市立熊谷図書館)、『歴史と文化の町・“めぬま”』(阿うんの会)
埼北ちっちゃな旅「深谷・妻沼版」
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