拝殿向拝を飾る「琴棋書画」と「目貫龍」 |
聖天山参拝者にとって、最初に眼を惹くのは拝殿向拝目貫を飾る「琴棋書画」の太鼓羽目彫刻でしょう。
これは、古来・中国の文化人が好んだ四芸である、「琴」・「囲碁」・「書」・「絵」、を題材にした、大きな「透かし彫り」の羽目彫刻で、厚い板を透かしが出来るまで刳り抜き、立体的に彫ったもので、幅約72cm、長さ約300cm、厚さ約18cmの大きな彫刻です。
この「琴棋書画」図は、日本でも室町時代から、中国の風物を伝える画題として、狩野派の絵師が主に屏風絵や襖絵に用いてきたものです。
「琴棋書画」の襖絵については、平成22年10月の新聞報道によると、明治28年から行方不明になっていた、京都・龍安寺の狩野派の襖絵が、アメリカで発見され、115年振りに戻り一般公開されたという話題が記憶に新しいところです。
寺社建築によく見られる霊獣の龍は、中国の伝説によると、「鯉」⇒「鯱」⇒「飛龍」へと次第に変身した後、最後に「龍」へと出世・変身するといわれています。
これは、中国の黄河上流・「龍門」という急流を登りきった鯉が、龍に変身し天空を駆けるという、鯉の出世伝説となり、ここから「登竜門」の諺が生まれたといわれています。
江戸時代の日本でも武家の間で起ったとされる、「鯉のぼり」の風習も同じです。
聖天山では、参拝者が拝殿正面で手を合わせ、お祈りをしているその頭上に、まさに「鯉」が「龍」に変身していく過程が、「籠彫り」彫刻によって見事に表現されているという点では、他に類例のない珍しい装飾だと言えます。
①「鯉」の籠彫り彫刻 |
②鯉が「鯱(シャチ)」に変身 |
③鯱はさらに「飛龍」に変身 |
なお、「籠彫り」彫刻とは、木の固まりを籠のように抉り抜いて彫ったもので、鯉・鯱・飛龍それぞれが波間から顔を覗かせ、最後は「目貫の龍」となって中央の梁間を飾っています。
次回は拝殿周りについてご説明しましょう。(文・写真:阿部修治)
著者紹介:熊谷市在住。上武郷土史研究会主宰、阿うんの会・講師。
全国歴史研究会、埼玉県郷土文化会、木曽義仲史学会、他各種会員。
主な著書:『妻沼聖天山』、『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(以上さきたま出版会)、『寺社の装飾彫刻・関東編上』(日貿出版社)、
『斎藤氏と聖天堂』(熊谷市立熊谷図書館)、『歴史と文化の町・“めぬま”』(阿うんの会)
埼北ちっちゃな旅「深谷・妻沼版」
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